2024.2.23

花山天皇

現在、やまびこ館では特別展「館蔵品展Ⅳ」を開催しています。
本展は鳥取市歴史博物館が近年収集した資料を中心に約100点を展示します。伝え・遺されてきた鳥取市ゆかりの資料を通じて、鳥取市の歴史・文化を紹介する展覧会です。

3月には展示解説が2回開催されます。

2回とも違う内容(資料)を中心に解説する予定です。

是非、お越し下さい!

館蔵品展Ⅳ_A4(確認用)-1


先日の大河ドラマで花山天皇が藤原実資が蔵人頭を固辞したので、怒った花山天皇が藤原懐親や惟成の烏帽子をはたき落としているシーンがありました。
ナレーションで烏帽子を取るのは下着を無理矢理取るのと同じである、とあったと思いますが、当時、人の烏帽子をたたき落とすのは最大の侮辱にあたる行為でした。

ふと、花山天皇が人の冠をたたき落とす話って、どんな史料に基づくのか見てみました。

探してみると「古事談」という史料がそれにあたりそうです。内容は以下の通りです。


 

花山院殿上人の冠を令取給けり、其中惟成弁奉被取、関白参給けるに、不著冠云々、関白〈頼忠〉問給けれは、みかとのめしたれはと申けり、仍不便之由被奏けれは、其後、不令取惟成冠給、

 


史料を訳すと、「花山院が殿上人の冠をお取りになった。その中に弁官の藤原惟成も取られてしまった。(その時に)関白(藤原頼忠)が参上されたとき、(冠を取るよう命ぜられた人々は)冠を着していなかったという。関白が(冠を付けていないことを)お尋ねになったところ、(惟成は)「帝(花山天皇)のお望みでして」と言った。そのため、(関白は冠を付けさせないのは)あまりにも気の毒であるということを花山天皇にもうしあげると、その後、惟成の冠は取られることはなかった。」

 

おそらく、この話を基にした脚本だと思われますが、ドラマよりも史料の方がよりひどい話でした。
ドラマだと内密な集まりの中での乱行でしたが、「古事談」の方は冠がないまま人前に、しかも人臣最高位の関白の前に出させられているということです。

エピソード自体は、おそらく強い後ろ盾のない天皇であった花山天皇を半ば強制的に退位させたことに対して、後世の貴族たち、特に藤原道長の子孫たちの言い訳として、天皇の資質を疑わせるためのものだと思いますが、花山天皇には様々な奇行の逸話が残っています。

ただ、元ネタを脚色して面白くするのはよくあると思いますが、元ネタを落色させてマイルドにするのは珍しいと思います。

 

今回の大河ドラマはあまり馴染みのない時代ではありますが、細かくみていくとどの史料をベースにしているのか分かるところがあったりします。

花山天皇の奇行と女好きがクローズアップされていますが、これに限らず、意外にその出典を探すことが出来ます。

また、色々な場面が「源氏物語」のオマージュだったり、物語を反映させたような部分(後々、紫式部が源氏物語を創り上げていく糧のようなもの、ということなのでしょうか)があったりするようです。

 

個人的に注目は藤原実資です。のちに賢人右府と称され、朝廷の業務(先例故実)に精通し、藤原道長にも屈せず、しかしその道長も一目置かざるを得なかった人物です。「小右記」という日記を遺しており、道長の書いた「御堂関白記」とならんで、この時代を知る上での貴重な史料となっています。

ドラマでは芸人さんが演じているのでお笑い要員になっている感じではありますが、実資の日記「小右記」を踏まえると、笑い所にされているような場面(初登場シーンなど)でも、セリフ自体は、けっこう実際の実資もこんなこと言ってそう、と感じるところが多々あって面白く見ています。

派手な合戦は多分ない(あっても刀伊の来寇くらい?)と思いますが、色々と注目なのが今年の大河ドラマだと思います。

 

ちなみに、左大臣・源雅信が自邸で妻と娘の前で言いかけてやめたエピソードは、「江談抄」という史料にある逸話です。

こちらの史料にも花山天皇の奇行がいくつか書かれていますので、興味のある人は読んでみて下さい。

 

気になったシーンは、また調べてみて、またここで紹介したいと思います。