2022.12.2

長岡安平と樗谿公園  ~120年前のまぼろしの公園設計図~

鳥取市上町にある鳥取市歴史博物館は、樗谿公園の中にあるといってもいいかも知れません。樗谿公園は1930年(昭和5年)に正式に落成しました。今から92年前のことです。鳥取市では鳥取城跡にある久松公園と並んで最も古い公園の一つになるわけですが、最初の設計図は近代公園設計の草分けである長岡安平によって1912年(明治45年)1月に作成されています。まだ久松公園の計画が浮上する前のことです。写真がその時に作成された「樗谿公園設計図」です。この図面には設計計画書や各施設の参考図書も付属しますが(ともに鳥取市歴史博物館所蔵)、長岡の計画は当時樗谿にあった長田神社や護国神社を移転するなどの壮大な内容でしたが、鳥取市内にある5つの銀行は、鳥取市に多額の寄付をして公園計画を後押ししています。鳥取市も当初は同年3月に全通する山陰線の旅客誘致策に連動する形で観光の名所として、かつての因幡東照宮(鳥取東照宮)の神苑を整備しようとしたのです。

ところがその後は、同年(大正元年)9月の台風による大洪水、1918年(大正7年)の3度に及ぶ水害、うち9月の台風は鳥取市が建設したばかりの美歎水源地の堰堤が崩壊して集落世帯が流失するなどの未曽有の大災害に見舞われ、長岡案それ自体は見送りになっています(池・滝の一部は整備されました)。

しかしながら樗谿公園の整備を望む鳥取市民の声はやまず、第二次の原煕案を経て昭和期に入り第三次案となる鳥取市栗谷町出身の林脩己案が採択されて、1930年(昭和五年)に念願の樗谿公園は落成したのです。当時の新聞は「鳥取市民の新しき誇り」(因伯時報)と伝えています。(伊藤康晴)

樗谿公園設計図

【写真】 明治四十五年一月作成のまぼろしの「樗谿公園設計図」

今から20年近く前、鳥取市役所の公園街路課(当時)に保管されていました。明治時代から平成の時代まで、担当部署に実際に残されていたことに大変驚きました。今は鳥取市歴史博物館の所蔵となり修復されて大切に保存されています。

 

【メモ】

明治時代の「樗谿公園設計図」を作成した長岡安平は、日本の近代公園設計の大家です。長岡の携わった公園は今も全国に残されています。北は北海道大通公園、秋田の千秋公園、東京の芝公園・日比谷公園、岐阜の養老公園、高知公園などです。個人邸宅の庭園も数々手掛けており、当時東京原宿にあった鳥取池田家14代の池田仲博邸庭園も設計・施工しています(今は東郷神社・東郷記念館の神苑・庭園として一部が残っています)。

一方、昭和期に竣工した樗谿公園の設計者・林脩己(のぶみ)は、鳥取県立農学校を卒業し、新宿御苑研修生として園芸を学んでいます。日本園芸会の会長でもあった大隈重信の邸宅庭園主任など数々の庭園設計・管理にかかわった人物です。現在の千葉大学園芸学部などでも造園を教え、成田山新勝寺のある成田山公園の造園工事を指導して1928年(昭和3年)に完成させています。