2019.4.2

やまびこ館の平成31年(5月からは令和元年)度、はじまる。

平成31年(令和元年)度がはじまりました。

やまびこ館は昨日は休館日だったので、実質的に今日からスタートです。

 

昨日は来月からの新たな元号「令和」が発表されました。「万葉集」を出典としており、初めての日本の古典を出典とするものとのことです。基本的に平安時代くらいからは、四書五経を中心に、中国の古典が使用されていました。

四書五経以外では、漢の歴史書である「漢書」や現在でいう「三国志」、はたまた則天武后の書いた書物など、様々な書物を使って元号案を考えていたようですが、基本は全て漢籍を使って考えられていました。

 

ネットや新元号の論評などを見てみると、新元号「令和」に対して色々なことが書かれています。

 

昔の改元がどの様に行われていたかをみてみると、中世の改元では、基本的に文章博士をはじめとする、漢学や漢詩に精通した人(現在の改元に当てはめると、非公開にされている元号案を出した人たち)が提出した、一人3つ前後の案に対して(3~4人が提出するので、重複もありますが合計10個前後)、公卿(三位以上の貴族)が議定(公卿会議、現在の改元に当てはめると閣議決定)によって定めていました。ただ、史料にはたまに「下光(したひかり)」という言葉がでてくることがあります。

 

公卿の会議でまとめられた数案の元号案が、天皇や上皇(院)、摂政関白などに一旦提出されるのですが、その案に対して、天皇や上皇(院)、摂政関白が、これという案に対して爪で跡を付けたり(爪点といいます)、あるいは口頭で直接意思を伝えて、元号案の再審議をさせることがあったようです。これが「下光」の意味のようです。

帰ってきた元号案のうち、どれを天皇や上皇(院)たちが推していたかまでは記録されていないこともありますが、おそらく、再審理の公卿会議では、その意思に従って、「合議によって」、新たな元号を決定したのでしょう。

 

元号は合議によって決められるものではありますが、最終的には誰かの意思が反映されて決定されるもののようです。

 

今回の改元は関係者の携帯電話の一時預かりや官邸のジャミング(があったらしい)、元号案の提出者や他の元号案の非公開など、情報漏洩に細心の注意を払っていたようですが、中世の改元では、改元の場に居合わせた貴族たちが、誰がどの元号案を挙げたのか、あるいはだれが会議でどの様な発言をして、最終的にどの様に決定したのかなど、事細かに日記に書き記していることがあります。

 

改元の史料で面白いのは、ある元号が、はるか前の時代に元号案として提出されていることがあります。例えば「明治」は、室町時代に元号案として既に見る事が出来ます。また、少し前にブームとなった応仁の乱が起こった「応仁」の元号が、南北朝期に一足早く元号案として登場したりしています。

これを機に、昔の改元の史料を見てみては如何でしょうか?

 

令和の発表後、日本各地で、1時間後に新元号ソングを発表してみたり、食品や食器などをはじめ令和と印刷された様々な商品の発売が分単位で発表されていたようですが、今回は改元に便乗してやまびこのわを書いてみました。

 

それはさておき、やまびこ館では今年度も色々と展覧会を開催します。今年度は8つの展覧会、イベントを特別展示室で行います。

 

年間行事予定表もやまびこ館受付や市内各所で配布していますので、是非お手にとって、気になった展覧会を見に来て下さい!

今年のデザインは↓になっています。

●平成31年度_年間行事予定表ol

今年度の展覧会については、こちらをご覧ください!

 

さしあたっては、最初の展覧会は、4月13日(土)から、「中国七宝協会展」(主催;鳥取県七宝協会・中国七宝協会)が開幕します。

是非お越し下さい!

●第38回中国七宝協会展_チラシ(HP用)