国府町庁(ちょう)の集落の一角に大正11(1922)年9月建立されました。
歌碑には「天平宝字三年春正月一日於因幡国庁賜饗国郡司等之宴歌一首『新年之始乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家余其騰』(あらたしきとしのはじめのはつはるのきようふるゆきのいやしけよごと)右一首守大伴宿禰家持作之」と、万葉集の最後を飾る大伴家持の歌が刻まれています。この歌には、「新しい年の初めにあたって、きれいな雪が降りつづいている。この雪のように美しい良い年でありますように」という家持の思いが込められています。
また、同地には万葉集の研究家としても著名な歌人・国文学者の佐佐木信綱が詠んだ『ふる雪のいやしけ吉事ここにしてうたひあけけむ 言ほきの歌』の歌碑と、万葉集の中から因幡三山のうちの今木山を詠み込んだともいわれる『藤波の散らまくおしみほととぎす今木の丘を鳴きて越えゆなり』の歌碑が昭和39年に建立されています。
建立年代は違いますが、これら3碑は鳥取市指定文化財となっています。
なお、平成9年には平安時代に因幡国司を務めた在原行平の歌碑が近くに建立されました。
<大伴家持歌碑>
<佐佐木信綱歌碑>
<在原行平歌碑>