岡益の石堂(安徳天皇陵墓参考地)

岡益の石堂正面

岡益の石堂(おかますのいしどう)は、鳥取市国府町岡益に所在する「石造建築物」です。

石堂は中央がやや膨らみをもった、いわゆるエンタシスの丸い石柱と、その上にのる中台(ちゅうだい)の裏側に放射線状に刻まれた「忍冬唐草文(にんとうからくさもん)、パルメット」が特徴です。これらのことから、石堂は7世紀ごろ中国の仏教文化の影響を受けて建てられた石造物と考えられており、これを「石灯篭」と見る説、石堂の裏にある岡益廃寺との関連で石の塔とみる説など、様々な説がありますが、定説はなく、謎のままです。

 

石堂は、6m四方の石で造られた台(基壇)の上に、厚さ約40cmの6枚の壁石に囲まれた石室があり、石室の中央には礎石が設置され、その上に円柱(直径約72cm・高さ173cm)が立っています。

 

円柱にはギリシャ・ローマなどの古代建築にみられる中央が膨らんだエンタシスという胴張りがあり、下の方には蓮の花弁模様が彫られています。

 

この建造物は安徳天皇の陵墓参考地に指定されており、宮内庁によって管理されています。また、この石堂から約2kmの場所には、石舟古墳(新井の荒舟)という古墳があり、これが安徳天皇の祖母(二位の尼・平清盛の妻)の墓だと伝えられています。ただ、安徳天皇の時代とそれらの史跡が造られた年代は違っており実際はどうであったかはわかっていません。

 

因幡万葉歴史館の常設展示室には石堂のレプリカをはじめ、「斗形状石(ますがたじょうせき)」など、岡益の石堂の石塔部材を展示しています。

(レプリカは原寸大にして推定復元したものです。手で触れて確かめてみてください。)

 

岡益の石堂4 岡益の石堂2 岡益の石堂3

●参考リンク

石舟古墳