2021.6.30

因幡の相撲・中世編

先日、当館のおうちだにアカデミーで相撲に関する講座が開催されました。

鳥取と相撲は、古くからつながりが強く、江戸時代から明治時代に掛けて、両国梶之助や勝山、高砂、真鶴など、多くの力士を排出しています。また、大野見宿禰神社が鳥取市内にあり、神代からのつながりもあったりします。

 

実は、常設展示の中世コーナーではひっそりと相撲に関する資料を展示していました。

 

神代の大野見宿禰や近世以降の大相撲だけでなく、古代・中世にも、因幡は相撲と深いつながりがありました。

展示していたのは、「吾妻鏡」の寿永3年(1184)3月10日と建長6年(1254)閏5月1日の2日分です。

これらの資料には、因幡の御家人(鎌倉幕府から所領の安堵と御教書を得た武士)である長田氏が登場します。

この長田氏は、当時の鎌倉では「譜代相撲」の家として知られていたようです。

長田氏は源平合戦の以前は平家の家人でしたが、長田資経は平治の乱後に伊豆まで流される頼朝に対して、一族の資家を遣わして、伊豆まで送り届けました。

これに恩義を感じた頼朝は、寿永3年3月10日のこの日に、資経の子・実経に対して平家の家人であった罪を許して御家人の列に加えました。

ここで出てくる長田氏は、平安時代には京都で行われる相撲節会に参加している力士として名前を見ることができます。

 

建長6年の記事では、執権・北条時頼の思い付き?で行われた、御家人による相撲の勝負で、長田広雅が勝負の判定人として召し出されています。この記事に書かれているのが「譜代相撲」という語句です。

 

展示室のキャプションには、資料のほか、訳文とキャプションでもう少しだけ詳しく書いています。

是非、見に来てください。

 

「吾妻鏡」にはいろいろと面白い記事があります。

中世の展示ケースの一角を使って、おうちだにアカデミーや季節に合わせたテーマで、不定期に色々と展示替えをしていこうかと思っている今日この頃です。

 

次回のおうちだにアカデミーは、7月18日の「古代山陰道について」(講師;坂本 嘉和さん、鳥取県埋蔵文化財センター文化財主事)なので、何かこじ付けになると思いますが(交通や人の移動に関する史料になるか?)、展示できそうな記事を探して史料をめくってみたいと思います。

講座イベント情報_

ちなみに、今年度の講座イベントをまとめて1枚にしたチラシを作成しました。館内で配布しています。色々なテーマで話をしますので、ご参加ください。