2020.5.21

古代・中世の「ステイホーム」、そして「クラスター」

鳥取県ではようやく新型コロナウィルス感染症(COVID-19(coronavirus disease 2019))にともなう警戒宣言が解除されました。

徐々に日常生活に戻っていく方向になってはいますが、まだまだ予断を許さない地域もあり、一応は日常生活に戻る入口には立つことが出来た鳥取県でも、感染症予防への配慮や、行動の「自粛」がしばらくは求められています。

 

コロナ休止中

健康には気をつけましょう。

 

そんな中ですが、関東在住の研究者の方々とオンラインで話をしていて(関東に行ったわけではありません)、この度のコロナウィルスに対する世の中の対応が、中世のあるものに似ている、という話になりました。

 

それは穢れです。

穢れは、一般的には被差別部落など、身分制の文脈で出てくる言葉だとは思いますが、ここで説明したいのは、被差別部落とは直接的には関係がないものです。ですので、今回は、その点についてお断りし、身分制と穢れの問題は、ひとまず関係ないものとしてお読みください。

 

穢れとは、人の死などで発生するとされ、定義は取り扱う地域(日本、諸外国問わず)や研究分野(歴史学、民俗学などの分野や、身分制、文化史などの研究テーマなどを含めて)によって様々な見解はありますが、基本的には人々が避けるべき不浄なものであると理解されています。

穢れは公家社会を中心とする人たちの日常生活において、規定、あるいは制度的なものとして深く関わっていました。

観念としては古くから存在し、「古事記」や「日本書紀」などにも穢れという言葉は出てきますが、規定としては、平安時代初期に成立した「式」(貞観式、延喜式など)という、朝廷が作成した法令集に登場したのが最初とされています。

その法令集の一つ、「延喜式」によると、人が死去した時には30日間の穢れ(死穢)、出産があった場合は7日の穢れ(産穢)、人の死骸の欠片(かけら)が落ちていた場所には5日間の穢れ(五体不具穢)といった感じで、穢れに該当する事項に対して、日数限定で穢れが発生し、その間は、その場所と、そこにいた人たちは穢れと認定されるというものです。

穢れとこの規定自体は、時代による変質はありつつも、基本的には、この「式」の規定をベースにして江戸時代まで慣習として残っていきます。

 

古代、中世において、穢れに触れてしまった人(触穢の人)たちはその時、どうなるのでしょうか。

コロナウィルス感染症では、症状が出なければ2週間程度、外出せずに経過観察をし、症状が出てくれば、アビガンやレムデシビルといった効果のあるとされる薬や、ECMOといった医療機器をつかって治療が行われています。

しかし、穢れに特効薬や治療機器はありません(そもそも病気ではないため必要はないのですが)。

 

穢れに求められるのは、その穢を外部に広げずに、自宅に留まり、規定の日数をやり過ごすだけでした。

 

まさに中世の「ステイホーム」です。

穢れに触れた場合は、一般的にはその期間は「物忌(ものいみ、ぶっき)」として、邸宅の門を閉ざし、一切の外出を取りやめます。

規定としての穢れは、祓(はらえ)を行っても、穢れを消滅させたり、物忌の期間を短縮できるものではありません。ただし、平安時代には、物忌みが明ける頃に河原(鴨川)で「解除(はらえ、祓)」が行われている資料が見られます。

 

この穢れとは、空間単位で考えられているものだったようでして、人が死んだり死骸が見つかった家、あるいは出産のあった家ごとに穢れが発生し、そこにいた人たちが穢れに触れた(触穢)ということになります。

今日、我々には「三つの密」を避け、ソーシャルディスタンス(フィジカルディスタンス)を意識する様に求められています。

しかし、ウィルスは人との接触によって伝染していきますが、穢れについては、密かどうかは関係なく、同じ空間(塀で囲まれた邸宅や寺社、内裏や院御所(上皇の御所)などの全体を一つの空間として捉える)にいた人たち全てが伝染してしまいます。

 

そして、穢れが発生した際の対応については、コロナウィルス感染症の場合では可能な限り感染ルートの特定を行っていますが、穢れについても、同じ様に感染(伝染)経路の追跡作業が行われます。

穢れの場合では、直接穢れが発生した場所を「甲所」と定め、そこにいた人たちが立ち寄った場所や自宅を「乙所」とします。そして、「乙所」にいた人たちがさらに別の場所や自宅に帰ると、そこは「丙所」となります。基本的に穢れが伝染するのは「乙所」に関わった人までで、「丙所」以降に関わった人たちは穢れとはされません。

ただし、念のため、一日程度の外出や神社参拝を「自粛」したり、祓えを行って身を清めたりして対応していたようです。

 

穢れの伝染のルール

穢れの伝染のルール

 

このように、穢れは空間単位で判断されますので、内裏や院御所などで穢れが発生してしまうと、洛中(京都中)の人たち(貴族や官人たち)全てが穢れに触れてしまいます。

そう、中世版の「クラスター」です。

古代、中世の貴族の日記には、度々穢れが内裏に持ち込まれ、それを理由に朝廷の儀礼や政務、会議が延期や中止されている記事が散見されます。場合によっては穢れが洛中に広がってしまい、貴族や官人たちが行動を取れなくなることもあったようです。まさに穢れの「クラスター」です。

 

穢れの「クラスター」については、平安時代後期の資料を見ると、主に内裏や院御所が同時に触穢となった場合が多いのですが、「世間(触)穢」や「天下触穢」と表現していたようです。

この場合、最大で30日の間、朝廷行事や神事が停められ、穢れに触れた貴族達も「自粛(物忌)」をしています。ある意味、洛中という都市が「ロックダウン」されます。

 

しかし、当時の人たちが行動の「自粛」にしっかりと努めていたのかと言えばそうでもなく、資料をよく見ていくと、穢れを発見してもそれを知らなかったと嘘をついて出仕(出勤)してみたり、逆に仕事をさぼる口実として穢れを利用してみたりする人々の姿が目に付きます。

穢れは基本的には人が考え出したものですので、日常生活に支障を来さないための方便(抜け道)が意外にあったようです。

 

しかし、コロナウィルスは、穢れとは違って現実問題として健康や命に影響を与えます(穢れも当時の人たちは同じ様に思っていたかもしれませんが・・・)。

まだまだ、ウィルスが猛威を振るいそうな気配も残っていますので、これまで通りの日常というわけには行かないかも知れません。感染対策を守って、免疫力も上げてウィルスに負けない体作りを心がけつつ、頑張っていきましょう。