鳥取東昭宮が創建されたのは慶安3年(1650)、今から370年前のことです。本殿・拝殿・幣殿・唐門は創建当初の建築を今に伝えるものとして国の重要文化財に指定されています。ですが370年間そのままの状態で保存されてきたわけではありません。
東照宮のある樗谿は一年を通じて多湿であり、木造建築は傷みやすい環境にあります。東照宮はその鎮座の歴史と共に、幾度となく修理を繰り返してきた歴史があり、それを支えた職人たちの歴史も刻まれています。江戸時代の修理は「御繕」と称されています。
創建後、はじめて東照宮本殿の屋根を大規模に修理したのは、わずか14年後の寛文4年(1664)です。仮殿を別に建てないと御神体が保護できないほど大破していたようです。大体15年に1度くらいは修理が必要だったのだと思います。
また創建から49年後の元禄12年(1699)には、「随身」と「駒犬」(狛犬)などが破損し、京都から仏師3名を招いて修理しています。創建当初から京都仏師の作なのかも知れません。随身とは神社神門の左右に安置された守護神像のことです。狛犬は日光東照宮と同様に随身に付随していたと思います。仏師たちは約5か月もの間、別当淳光院(現大雲院)の一角にあった塔頭平福院に住み込みで修理にあたったようです。(伊藤康晴)
【メモ】
元禄12年の修理では、随身像、狛犬のほか、薬師堂の薬師如来像・十二神像の修復・彩色などが行われています(鳥取藩政資料「控帳」)。 平福院は現在の樗谿公園梅鯉庵付近にありました。 |