2019.11.15

鳥取東照宮とその社号

鳥取市上町、樗谿(おうちだに)の鳥取東照宮は、慶安3年(1650)に勧請されました。来年は創建370年を迎えます。

 

鳥取東照宮は藩祖池田光仲が徳川家康(東照大権現)をお祀りしたもので、江戸時代は「因州東照宮」(因幡国東照宮)、あるいは単に「東照宮」と称され、鳥取城下では日常的に「御宮」と呼んだようです。近くの池を今でもオミヤイケ(御宮池)というのはそのためです。

 

 

徳川の時代が終焉を告げ、明治7年(1874)には、鳥取池田家の祖、池田忠継・忠雄・光仲の3柱(霊)を合祀して「樗谿神社」と社号をかえています。さらに同11年には前年に没した12代藩主池田慶徳も合祀され、以来祭神は5柱となっています。

 

樗谿神社(鳥取東照宮)は、鳥取城跡と並び、かつての鳥取藩の象徴と言えるでしょう。明治18年、鳥取城下から北海道岩見沢に開拓のため移住した士族(元鳥取藩士)は、樗谿神社の分霊を開墾地に祀り、鳥取神社(現在は東神社)を創建したほどです。困難な開拓には、心の拠り所、団結の象徴が必要だったと思います。

鳥取城下の度重なる災害から難をのがれ、昭和18年(1943)の鳥取地震にも耐え、昭和27年(1952)4月の鳥取大火にも焼けず、その年の7月に国の重要文化財に指定されました。樗谿神社は平成23年(2011)に再び社号を変え、本来の「東照宮」に「鳥取」を冠して「鳥取東照宮」と称されるに至ったものです。(伊藤康晴)

 

写真 因州東照宮の別当寺・大雲院所蔵の華鬘_

因州東照宮の別当寺・大雲院所蔵の華鬘(けまん)(荘厳具)

 

 

【メモ】

現在のところ、国の重要文化財としての指定名称は、昭和27年指定当初の「樗谿神社(本殿・拝殿・幣殿・唐門)」になっています(令和元年11月14日現在)。