鳥取市歴史博物館の向かい側、現在の樗谿公園の梅園や芝生緑地のある一帯(平地部分)にはかつて大庭園が存在しました。江戸時代、因幡東照宮(現鳥取東照宮)の別当寺として鳥取藩内で最高の寺格を有した大雲院のお庭です。近年大雲院の境内を描いた絵図が発見され、広大な庭園の様子がわかるようになりました【写真】。あまり精緻な図面ではありませんが、江戸中期の池泉回遊式庭園の雰囲気を今に伝えています。
境内の下手に約三百坪もの寺院・坊舎があり、その北側一帯に庭園はひろがっていました。右側が現在の参道。左側にはヤマがせまっています。中島のある大きな池泉は三方に水域がのびており、それぞれに太鼓橋や土橋がかけられています。もっとも大きな太鼓橋の右側には、書院から水域対岸の御霊屋へ「渡り」が掛けられ、廊下を通している様子がわかると思います。御霊屋は歴代将軍の位牌が安置されます(現大雲院も同様)。東照宮別当寺の荘厳を演出する造りになっていたことがうかがえます。
大雲院は明治に入ると新政府の神仏分離政策により、樗谿から移転を余儀なくされました。現在、庭園の面影はありませんが、辛うじて池泉の一部と築山の痕跡をわずかに残しています。立川町にある大雲院と合わせて、樗谿公園にその面影をたどる散策をしてはいかがでしょうか。
(伊藤康晴)
大雲院境内図(部分) 鳥取市立川町 大雲院蔵 |