2018.9.4

鳥取東照宮 幻の巨大常夜灯

鳥取東照宮(かつての因幡東照宮)の参道、随神門の前にある六角形の石積みをご存知ですか(写真1-右下部)。大きいわりに余り目立たないかもしれません。

これは江戸時代の後期、弘化3年(1846)に鳥取藩領の有力町民・農民が資金を出して建立した銅製の常夜灯の基壇(基礎石)なのです。

 

どれほど大きかったのか。当時の記録には「壱丈壱尺」と見えますから、この基壇の上に約3.3メートルの常夜灯が建っていたのです。基壇は約72センチあるので、地上から常夜灯の先端までは4メートルに及びました。

 

東照宮の別当寺、大雲院に伝来する古文書によれば、御宮御用となった嶋屋源三郎が世話人となり、大坂高津の著名な鋳物師今村久兵衛が製作し、左右一対の費用は276両余りであったことがわかります。

常夜灯は、元来東照宮神域の入口付近(現在の樗谿公園の入口付近)に鳥居や下乗札などと一緒に建っていましたが、明治時代の神仏分離政策以降は、次第に奥へと移転し、昭和初期頃には現在の随神門の前に移りました。

 

ではなぜ常夜灯は失われているのか。戦時下に発せられた金属回収令にともない、供出されたといわれています。写真からは三つ葉葵や透かし彫りにされた唐草文様などがうかがえます。あかりの灯った在りし日の姿を偲ばせます。

(伊藤康晴)

写真1 鳥取東照宮 随神門前の現況

写真1 鳥取東照宮 随神門前の現況

写真2 昭和初期頃の風景 鳥取市歴史博物館所蔵

写真2 昭和初期頃の風景 鳥取市歴史博物館所蔵

写真3 金銅製の灯籠〈絵葉書部分〉鳥取市歴史博物館所蔵

写真3 金銅製の灯籠〈絵葉書部分〉鳥取市歴史博物館所蔵

【メモ】

当時資金を出した人々は、秋里屋利惣次・土屋市郎兵衛、八上郡上田半兵衛・汗入郡田中六郎兵衛・日野郡木下万作・近藤平右衛門とあります(内訳金額不詳)。