常展・天正9年15

 

長い陣地暮らし。因幡伯耆の商人達が秀吉方の兵士を相手に市を立てました。
【解説】

江戸時代に著された「太閤記」によると、羽柴方の陣は商人達で賑わっていたようです。

 

常展・天正9年16

 

一方、鳥取城では村人達が暑さの中で飢えに苦しんでいました。草や木の葉も食べ、稲の切り株が最も良い食べ物という有様でした。

 

 

【解説】

鳥取城内の様子は、太田牛一による「信長記」の他、「太閤記」などには悲惨な様子が描かれています。

鳥取城攻めの悲惨や様子の原型を辿ってみると、「信長記」に書かれているものがベースにあるようで、それが「太閤記」に引き継がれて今日まで伝わっているようです。

しかし、江戸時代に小泉友賢が因幡国内を丹念に廻り、鳥取城攻めについても色々と調べて書かれた「因幡民談記」には、馬を食べた人や、死者を食べた人などのことが記録されており、一般的に流布している以上に、具体的、かつ悲惨な城内の様子が記録されています。

 

 

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