常展・天正9年05 迫り来る織田勢力に対し、毛利方は統率力のある吉川経家を鳥取城に派遣していたのです。
【解説】

吉川経家は、鎌倉時代に石見国津淵村に土着した石見吉川氏の一人です。山名豊国が去ったあとの因幡の国人たちは、毛利家中で山陰道の守備を担っていた吉川家に対して、鳥取城で羽柴勢を迎え撃つために、吉川家から城番を迎えることを要望します。そこで派遣されたのが吉川経家でした。

経家は2月に石見国を出発し、出雲に滞在していた吉川元春と対面した後、3月18日に鳥取城に入りました。

 

常展・天正9年06 常展・天正9年07 吉川経家は石見国から連れてきた400の兵を中心に、およそ2000 で敵に備えました。

そして、久松山の鳥取城に逃げ込んだ村人達は、山中に仮小屋を建てて雨露をしのぎましたといいます。

 

 

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