2024.2.8

青谷上寺地遺跡「最初」「最大」「最多」・・・ “びっくり”のオンパレードをふりかえる!②

※写真提供:とっとり弥生の王国推進課 青谷かみじち史跡公園準備室

 

 

・H12(2000)6/9(金) (朝日、日本海、山陰中央)

出土の連子(れんじまど)日本最古?(6世紀以降に日本に移入されたとされる連子窓の原型か?とすると定説より500年前後遡る?)

→ 「飛鳥時代以降の連子窓とは形態が異なるが、その原型となるものでは?

祭殿など特殊な建物に使用か。」(宮本長二郎氏)

→ 「窓であることは間違いない。これまで同時期の扉は出土例があるが、窓が見つかったのは初めて。」(工楽善通氏)

→ これまでの最古は、奈良県山田寺跡で発掘された飛鳥時代(7世紀)のもの。

 

☆遺物出土状況

②-4 SD27遺物出土状況・(連子窓?)(北東から)

 

・H12(2000)7/13(木) (朝日、読売、毎日、日本海、山陰中央)記事

金属武器が刺さった人骨出土。(殺傷(さっしょうこん)

⇒ 倭国大乱? 凄惨な白兵戦で出土した弥生時代後期の人骨約4000点(53体分)のうち、89点(10体分)には傷が残り、金属製の武器が刺さったものもある。(今までに全国で見つかった弥生時代の殺傷痕のある人骨数35点の二倍を上回る。)この時期の殺傷痕のある人骨の出土は全国初で、騒乱が続いたとされる弥生時代から古墳時代にかけての社会情勢を直接証明する貴重な資料となる。切り傷の状態から、この時期に鉄刀が戦いに使用された初めての証拠(松木武彦・岡山大文学部助教授(当時))

 

・H12(2000)7/15(土)(日本海)

「遺跡を学ぶ会」発足へ。地元有志らが5月から会の発足に向けて準備開始。

 

・H12(2000)7/17(月) (日本海)東風西風

「環日本海時代」は既に弥生時代に実践されていた。

 

・H12(2000)8/5(土) (日本海)記事

青谷上寺地遺跡で見つかった殺傷痕のある人骨は、戦争とは関係なく、いけにえや犯罪者の処罰などほかの理由で殺されたのでは

傷のある人骨が、戦争の犠牲者としては多すぎ、建築部材などほかの遺物には戦争の痕跡がないのが理由。

→ (戦争派)松木武彦・岡山大助教授、橋口達也・福岡県文化財保護課参事

→ (慎重派)工楽善通・ユネスコ・アジア文化センター部長

→ (否定派)藤田憲司・大阪府文化財調査研究センター中部調査事務所長

 

・H12(2000)8/16(水)(読売)記事

青谷上寺地遺跡の発掘成果で、弥生人の精神生活の追体験か。また、朝鮮半島南海岸付近の遺跡とも関連か。

遺跡中心部の祭場(矢板列を持つみぞを幾重にも巡らせた微高地)、続々出土の卜骨(出土数95点はこれまで日本列島で見つかった総数のおよそ7割にのぼる)、祭祀用の大量の土器(赤彩や特徴的なスタンプ紋、人物やシカ等の線刻、吉備地方を中心に祭祀に使用されたとされる分銅形土製品(ふんどうがたどせいひん)の山陰最多35点出土、祭祀的な木製品(鳥形・人形・舟形・盾・花弁高杯)、鉄製工具類殺傷痕を残す人骨群など、突出した数量を誇る。また、中国大陸や朝鮮半島、北部九州、北陸、畿内等との交流もうかがえる(中国製の内行花文鏡や貨泉、近畿系大型銅鐸籩等の出土)

 

 

☆ト骨

②-1 卜骨

 

☆分銅型土器集合

②-2 分銅形土製品集合(展示館)

 

焦がした後のト骨8点を規則的に積み重ねた遺構の集積方法は韓国慶尚南道のヌクト遺跡と類似。また韓国全羅南道の郡谷里貝塚からは、シカの角製の柄に刻みを入れたノミとそっくりの製品や卜骨、鍛造鉄斧、釣針や矢じりなどの骨角製品、貨泉など青谷上寺地遺跡とよく似た遺物がセットのように出土している。

一つの遺跡から見つかる弥生時代のものとしては最多級の200点を超す鉄製品の出土や、国内では青谷上寺地遺跡出しか見つかっていない、主に朝鮮半島北西部や中国北東部などの限られた地域で発掘される棒鋼と呼ばれる棒状の鉄のインゴットの出土。大陸製の鍛造や鋳造の鉄斧やタガネ、ノミ、キリといった鉄製工具類出土は各地との交流を示している。

→ 日本海沿岸に“弥生の鉄器交易ルート”が実在か。殺傷痕のあるものを含む大量の人骨の出土は、この鉄器交易ルートの確保をめぐる集団間の争いを想定する向きもある。

 

・H12(2000)8/27(日) (朝日、読売、毎日、日本海、山陰中央)記事

『上寺地遺跡を学ぶ会』発足(初代会長:石井 洋)

 

・H12(2000)9/13(水) (朝日、読売、毎日、日本海、山陰中央)記事

脊椎(せきつい)カリエス骨確認。(結核の痕跡を示す人骨としては国内最古

「人口密度が低かった縄文時代に比べ、弥生時代は大量の人々が大陸からやってきて人口密度が上がり、伝染病がはやりやすい状態だった。戦乱など社会不安が続いてストレスがたまったことも赫々が流行するきっかけになる(鈴木隆雄・東京都老人総合研究所副所長)」

 

☆脊椎カリエスの人骨

②-3 写真データ02脊椎カリエスの人骨

 

・H12(2000)10/2(月) (日本海)記事

青谷上寺地遺跡の「連子窓」、紀元前3世紀に秦の徐福とともに導入されたかと中国の研究者が推論。(これまで日本で確認されている最古の連子窓は、奈良県の山田寺跡で発掘された7世紀(飛鳥時代)のもので、6世紀後半に仏教建築とともに中国大陸から伝わったとされていた。)

 

・H12(2000)12/19(火)( 毎日、日本海)記事

あおや郷土館で「かあなもんが またまた でたわいや! ~青谷上寺地遺跡出土品

速報展2000~」

 

・H12(2000)12/19(火)(朝日、日本海、山陰中央)記事

共鳴箱を持つ琴では日本最古とみられる弥生時代の琴がほぼ完形で出土。また祭祀用器物では土笛などの楽器、クジラの骨で作った銅剣型の剣、木製の剣形・刀形・戈形・赤く着色した盾などの武器形が多数出土。このうち、鯨骨製の銅剣形やシカの角性の刀剣の柄の先につける飾りは全国初出土3種類の動物が描かれた土玉全国で初。さらに木製品では漆塗りの壷・桶・腰掛・履など精巧な製品も多数出土。また、最大の板は長さ260㌢、幅75㌢、厚さ2㌢と弥生時代としてはこれまでの常識を上回る日本最大の大きさ。(大きな板の加工技術と、原料となった良質の杉林が当時存在していたことがわかる。)

 

・H12(2000)12/19(火)( 読売、山陰中央)記事

シカやイヌ?、キツネ?を線刻した琴の横板出土。縦37.5㌢、横6㌢の杉板で、中央に音をよくするための直径約1㌢の穴が開く。中央に背中を丸め尾を下げたキツネとみられる動物、両側に角を巻いて尾を突き上げたシカ3頭と、両耳がたったイヌの計5頭が描かれる。

 

・H13(2001)1/19(金)(日本海)記事

全国最大規模の溝状遺構検出。大型の板を横に何枚も連ねて杭で留めており、78本という類例のない多数の溝を確認。幅15m、長さ20m以上の最も大きく最も古い溝に並行するか直交する形で、砂に埋もれるたびにその上に5回も作り直している。

また、全国で2例目となる木の道出土。弥生時代の木の道は、奈良県の四分(しぶ)遺跡で丸太を並べて長さ1mほどの道にした例があるが、板材を並べた例はない。特別な意味のある場所の道か?

 

・H13(2001)2/24(土)(毎日)記事

県教委、青谷町内で出土品を常設展示へ。(1月末で営業を停止したJA鳥取いなば青谷町支店を活用の方向)

 

・H13(2001)3/26(月)(日本海)記事

青谷上寺地遺跡出土の連子窓(1999年出土。弥生時代中期/約2000年前)と類似した遺物が奈良県桜井市の纏向遺跡から出土していることが判明。類似遺物は1987年出土。古墳時代初頭(約1700年前)の建築部材で、丸い木材を横に並べてつるで編み、簾(すだれ)状にした「簾壁」。丸材を使って風通しを良くした点が共通しており、この風通しを良くする構造は、隋や唐といった北方系の建築とは異なり、南方系の特徴と言われる。