2018.12.28

鳥取東照宮をつくった石工たち

鳥取東照宮(かつての因幡東照宮)の見どころは数々ありますが、拝殿の下には実に精巧に組まれた石垣があります(写真1)。隙間なく積み上げられたこのような石垣の技法を「切り込みはぎ」と言います。徳川家康を祀る東照大権現宮=東照宮にふさわしい最高水準の技術が導入されていることがわかります。

写真1

写真1 鳥取東照宮の拝殿下にある石垣と階段

 

また境内の奥に鎮座する本殿まわりには横幅1間(約1.8m)~1間半(約2.7m)ほどの巨大な切り石が周囲をめぐって結界をつくっています。中には3.4mの巨大なものもあります(探してみてください)。本殿の土台には、厚みのある石材を使用していることが柵の外からもわかります。随神門まわりの敷石も見事に石が畳まれており(写真2)、その技術の高さがわかります。どれも花崗岩を使用しているようですが、採石地は今後検討しなくてはいけません。

写真2

写真2 鳥取東照宮の随神門まわりの敷石

東照宮の石普請は上方から来た石工たちの仕事のようです。『因幡歴年大雑集』という資料には、「慶安2年の工事の際、石切(石工)を上方方面より一日につき2匁3歩で雇った」とあります。上方の石切とは泉州の石工ではないかと推測します。和泉国日根郡周辺(現大阪府南西部)の石工たちです。鳥取藩領には主に享保期頃より(江戸中期)断続的に藩領各地に土着しているようです。石灯籠や鳥居など、その作例が現在も県内各地にのこされています。

東照宮に並ぶ石灯籠は、鳥取県内では年号を明記するものの中で最古級であることが泉州石工の研究をしている駒井正明さんの調査で明らかにされていますので、東照宮の石普請で学んだ地元の職人もいたかも知れません。鳥取東照宮は鳥取城とならんで石工たちの殿堂といえる場所であると思います。

(伊藤康晴)

 

 

【メモ】

鳥取東照宮の拝殿・幣殿・唐門・本殿は、国の重要文化財に指定されています(指定名称はかつての社号「樗谿(おうちだに)神社」になっています)。

これら社殿の建造は、鳥取藩主池田光仲が御国入を果たした慶安元年(1648)に幕府から許可を得て、翌年から工事に着手。慶安3年に完成しています。