仁風閣の概要

池田仲博

池田仲博

鳥取市は、元鳥取藩主池田家の居城であった久松山(海抜263m)を扇の要(かなめ)として発展した都市で、この城跡に建っている洋風建築が国の重要文化財仁風閣です。

現在、仁風閣の周辺は久松公園として整備され、春は桜、秋は紅葉の名所として全国各地からたくさんの人々が訪れます。白亜の洋館仁風閣と周りの自然とのコントラストは1枚の絵画のように映り、市民の憩いの場となっています。

仁風閣がこの位置に建てられたのは、明治40年(1907)5月のことで、鳥取池田家の第14代当主池田仲博侯爵が、宮内省匠頭であった 片山東熊(かたやまとうくま)工学博士に池田家の別邸として設計を依頼し、工部大学校で片山博士の後輩にあたる鳥取市出身の橋本平蔵(はしもとへいぞう)工学士が監督しています。片山博士は、明治洋風建築最高の傑作である赤坂離宮をはじめ、京都国立博物館など、数多くの有名建築を設計し、当時の宮廷建築の第一人者と云われた人です。

仁風閣の構造(外部)

白亜の木造瓦葺2階建て

白亜の木造瓦葺2階建て

フランス風ルネサンス様式を基調とした白亜の木造瓦葺2階建て。正面はセグメンタルぺディメント(櫛形(くしがた)破風)の棟飾りを主要モチーフとしたつくりになっており、建物の随所にはスクロール(巻軸模様)を配しています。

寄棟造りの瓦屋根には、洋風建築ならではのクラウン(王冠)型の棟飾りと6つの煙突、円形の換気窓が華やかさを添え、ルネサンス様式特有の水平ラインを強調した装飾が建物全体の雰囲気を整えます。さらにゴシック様式ならではの垂直要素を持つ八角尖塔(階段室)が建物のおもむきを豊かにしています。

仁風閣背面

仁風閣背面

背面は、1・2階ともベランダを設けて軽快優美な様相を呈しています。2階ベランダからは宝隆院庭園が一望でき、心和む空間となっています。

仁風閣の構造(内部)

謁見所

謁見所

各室は、「御座所」「謁見所」など、皇太子が宿舎として使われた当時の名称で呼ばれています。室内の構造・装飾にも意が払われ素晴らしい技術の結集を見ることができます。各部屋のマントルピース(暖炉飾り)、カーテンボックスには和洋折衷の技術が見られ、職人達のすぐれた工夫と技術が見られます。

らせん階段

らせん階段

そのなかでも仁風閣の奥に鎮座している「らせん階段」の構造・職人技には息をのみます。階段には支柱が無く、硬いケヤキを彫った厚板(ささらげた)で支えています。高さ4mの曲線美はまさに芸術品です。

宝隆院庭園

宝隆院庭園

宝隆院庭園

久松山を背景とする山裾の台地に設けられた池庭で、文久3年(1863)、第12代鳥取藩主池田慶徳が、若くして未亡人となった先代慶栄の夫人宝隆院(ほうりゅういん)を慰めるために造営したものです。

今日では、仁風閣の後庭として大変良い環境をつくっています。

庭園の西南隅には茶座敷宝扇庵(ほうせんあん)があり、これらを含めて池のまわりを回遊することが出来ます。

宝扇庵

宝扇庵

江戸時代に多数作られた大名庭の系列に属し、様式的には、江戸時代に定形化した池泉庭園の典型的な構成を示しており、池・中島周辺の配置や石組には京風の洗練された手法が感じられます。