トップページ
施設紹介
施設紹介
毎日暑い日が続きます。
建物が隠れて見にくくなっていますが写真は裏口からの一枚です。
鳥取西高校グランド側の門に立つと、木陰のせいもあり風が吹きぬけいきます。
みなさんに、ぜひこの自然の心地よさを味わっていただきたいです♪
2010.7.29
仁風閣の概要
鳥取市は、元鳥取藩主池田家の居城であった久松山(263m)を扇の要(かなめ)として発展した都市で、この城跡に建っている洋風建築が国の重要文化財仁風閣です。
現在、仁風閣の周辺は久松公園として整備され、春は桜、秋は紅葉の名所として全国各地からたくさんの人々が訪れます。白亜の洋館仁風閣と周りの自然とのコントラストは1枚の絵画のように映り、市民の憩いの場となっています。
現在、仁風閣の周辺は久松公園として整備され、春は桜、秋は紅葉の名所として全国各地からたくさんの人々が訪れます。白亜の洋館仁風閣と周りの自然とのコントラストは1枚の絵画のように映り、市民の憩いの場となっています。
仁風閣がこの位置に建てられたのは、明治40年(1907)5月のことで、鳥取池田家の第14代当主池田仲博侯爵が、宮内省匠頭であった
仁風閣は、明治40年の嘉仁皇太子殿下(のちの大正天皇)山陰地方行啓にあわせて完成され、皇太子殿下の宿舎として使用されました。
「仁風閣」の名は、この時随行した海軍大将東郷平八郎の命名で、今もその直筆が二階ホールに掲げられています。
また、仁風閣には、この時鳥取県下ではじめて電灯が灯され、室内のシャンデリアと、夜空を彩ったイルミネーションは、明治文明開化の到来を華々しく謳いあげたものです。
その後、時代に翻弄され様々なかたちで使われた仁風閣は、昭和48年重要文化財の指定を受け、昭和49年から3年の月日と約2億円をかけ修理復元され、昭和51年一般公開となりました。
現在、仁風閣1階では、鳥取池田家の歴史をパネルで紹介するとともに、池田家ゆかりの品々などを展示しております。
仁風閣の構造(外部)
白亜の木造瓦葺2階建て
|
フレンチ型ルネッサンス様式を基調とした白亜の木造茅葺2階建て。
仁風閣正面
|
フレンチ型ルネッサンス様式を基調とした白亜の木造茅葺2階建て。
正面はセグメンタルぺディメント(櫛形破風)の棟飾りを主要モチーフとしたつくりになっており、建物の随所にはスクロール(巻軸模様)を配しています。寄棟造りの瓦屋根には、ルネッサンス様式にみられるクラウン(王冠)型の棟飾りと6つの煙突、円形の換気窓が変化を与えています。さらにゴシック風の八角尖塔(階段室)が建物全体に安定感を与え洋風の印象を強める効果となっています。
仁風閣背面
|
背面は、1・2階ともベランダを設けて軽快優美な様相を呈しています。2階ベランダからは宝隆院庭園が一望でき、心和む空間となっています。
仁風閣の構造(内部)
謁見所
|
各室は、「御座所「謁見所」など、皇太子が宿舎として使われた当時の名称で呼ばれています。
御座所
|
室内の構造・装飾にも意が払われ素晴らしい技術の結集を見ることができます。各部屋のマントルピース(暖炉飾り)、カーテンボックスには和洋折衷の技術が見られ、職人達のすぐれた工夫と技術が見られます。
らせん階段
|
そのなかでも仁風閣の奥に鎮座している「らせん階段」の構造・職人技には息をのみます。階段には支柱が無く、硬いケヤキを彫った厚板(ささらげた)で支えています。高さ4mの曲線美はまさに芸術品です。
照明器具
|
仁風閣の常設展示
1階常設展示の平面図
展示構成
プロローグ 仁風閣ってな~に?
1.仁風閣へようこそ(仁風閣概要)
2.仁風閣ができたころ―明治時代の鳥取市―
仁風閣 まるごと仁風閣!
3.嘉仁皇太子の山陰行啓―奉迎にわいた鳥取の街―
4.仁風閣の設計と建築―仁風閣を建てた人々―
5.仁風閣のあゆみ―時代とともに生きる―
6.洋風建築あれこれ―明治建築の系統と意匠―
侯爵・池田仲博 池田仲博の横顔
7.池田仲博のおいたち―水戸徳川家から池田家―
8.池田協議会―仲博を支えた人々―
9.池田家の原宿屋敷―池田侯爵さんのお屋敷―
10.仲博・享子の子どもたち―家族のきずな―
11.扇御殿と宝隆院庭園―整子・宝隆院の眺めた景色―
池田家の歴史 鳥取藩のあゆみ
12.池田家の先祖―信長・秀吉・家康の支えた池田家―
13.池田家一族のすがた―鳥取藩成立前史―
14.鳥取池田家の成立―初代藩主・池田光仲のお国入り―
15.池田慶徳と徳川慶喜―五郎麻呂と七郎麻呂―
宝隆院庭園
宝隆院庭園
|
久松山を背景とする山裾の台地に設けられた池庭で、文久3年(1863)、第12代鳥取藩主池田慶徳が、若くして未亡人となった先代慶栄の夫人宝隆院を慰めるために造営したものです。
今日では、仁風閣の後庭として大変良い環境をつくっています。
宝扇庵
|
庭園の西南隅には茶座敷宝扇庵があり、これらを含めて池のまわりを回遊することができます。
江戸時代に多数作られた大名庭の系列に属し、様式的には、江戸末期に定形化した池泉庭園の典型的な構成を示しており、池・中島周辺の庭石の配置や石組には京風の洗練された手法が感じられます。




