2022.9.26

いほう

現在、特別展「江戸時代の京都と鳥取」展が開催されています。

江戸時代の京都と鳥取_A4(確認用)-1

江戸時代の京都について、鳥取藩邸を始めとする、人や物、文化など、当時の鳥取と京都の繋がりが、絵画や藩邸の出土遺物、古文書などを通じて紹介されています。

また、鳥取藩だけでなく、土佐藩や加賀藩などの資料を通じて、当時の京都について、色々な方面から紹介されています。

また、10月2日(日)には記念講演会「江戸時代の京都の武家屋敷」が開催されます。長年、京都で遺跡や遺物の調査研究、またその成果の公開に携わってこられた山本雅和先生(京都産業大学文化学部客員教授・京都市考古資料館館長)をお招きします。

こちらも是非お越しください!(要予約、詳細はこちら→

記念講演会

 


さて、最近、衣冠束帯の色について、軽く調べることがありました。
中世の絵巻物や人物画の束帯を見ると、上の衣(位袍)は黒く見えるのですが、現在の宮中祭祀で関係する人たちが着るものは濃い紫で「黒」ではないとのこと。人伝で聞いたのですが、その辺りを来館者の方が話をされたらしく、さて、中世はどうだったのだろうか、ということで手近な辞書や資料を見てみました。

 

貴族の日記を見ていても、とある儀式に束帯を着したことは書かれていますが、それが何色かまではあまり書かれていません。
というのは、身分により着るものは決まっているので、その場にいる人が束帯を着したことだけ分かればいいわけですし、自分が着るものであれば尚更、書く必要はありません。
ですので、装束の色については、どの種類の装束を着たかは書かれても、色までは書かれていないことが大半だと思います。

 

束帯に話を戻しますが、結論から言えば、束帯の色は、身分の高い貴族については、基本的に平安後期以降は黒いそうです。
奈良時代については、「令義解」には衣服令という装束の規定があり、これによると皇太子、親王、王、諸臣(公家)ごとに細かく規定されており、諸臣を見てみると一位が深紫、二位・三位が浅紫、四位が深緋、五位が浅緋となっていくようです。

但し、有職故実(※1)の研究者・鈴木敬三氏が編纂した『有職故実辞典』(吉川弘文館)の「位袍」の項目を見ると、平安時代後期には四位以上は黒であるとしています。

 

そこで、史料の用例をみるため、『古事類苑』(服飾部)を見てみると、天皇の事例ですが、『花園天皇宸記』には、花園自身が着した束帯について「黒袍」と書いており、少なくとも、中世の人は、自身が着す袍の色は「黒」であると認識していたようです。
なぜ黒いのかについては、戦国時代に三条西実隆という公家が著した「三条家装束抄(西三条装束抄)」によると、四位以上の位袍は「黒袍」と記されており、中古以来(戦国時代から見ての時代。大体、公家社会の歴史認識からすると平安時代中後期頃を指すと思われる)、 袍は付子鉄漿(ふしがね ※2)で染めるため、一位から四位まではあまり違いが見えなくなっていたようです。ただし、四位だけは紫草を加えるため、同じ「黒」でも、三位(公卿)と四位とは少し見た目には違いがあったようです。

 

江戸時代になると少し染め方に変化があったようで、江戸時代の有職故実の大家・伊勢貞丈が著した「安斎随筆」によると、四位以上の公家が着る位袍は、実は紫で、それを限りなく濃くしていくと黒のように見えるともあります。
この場合の黒色について面白いのは、「黒」のイメージとして茄子(ナスビ)の色を挙げています。
茄子は紫だけれども色が深くて黒く見える、これが位袍の色のイメージとのことです。

 

いずれにしても、結局のところ、「黒袍」と書かれているように、多少の推移はありそうですが、位袍の色は四位以上は「黒」に見えるような色で、当時の人々もその色を「黒」という認識を持っていたことがわかります。

 

なお、宮中祭祀は明治時代になると近世まで連綿と続いてきた儀式や故実が一新されており、近代や現代の宮中作法は必ずしも近世以前まで遡ることが出来ません。

日本や皇室の「伝統」や「文化」という言葉が使われることがありますが、奇しくも、「伝統」という言葉自体が前近代の言葉ではなく、また、今日我々が使っている用法での「文化」という言葉も明治時代以降に作られたものです。
日本の天皇家はギネスブックにも載っている、世界最長の王室(※3)ではありますが、そこで行われていることは必ずしも全てが最長なのではなく、儀礼については、時代に合わせて変化している一例と言えるかも知れません。

 

なお、現在開催中の「江戸時代の京都と鳥取」展では、束帯を着した池田光政と前田直躬の肖像画があります。是非、装束にも注目してみてください。

 


※1 有職故実(ゆうそく(ゆうしょく、ゆうそこ)こじつ(こしつ)と読む)

主に平安時代以降から近世までの朝廷(公家)や幕府(武家)の儀式・年中行事や官職、法令、装束などに関する作法とそれらの先例や慣習といった知識、またはそれらを研究する学問。「有職」とは儀式・行事・官職に関する知識、教養を指し、「故実」とは有職に関する根拠とすべき先例や慣習、習わしを言います。

 

※2 付子鉄漿(ふしかね)

五倍子(ふし、ヌルデの葉茎に出来る虫コブ)の粉を鉄漿(かね、鉄片をお茶などの液体に入れて粥や酒などを加えて酸化させた液体)に浸して作った黒色の染料。おはぐろに用いたもの。

 

※3 現存する最古の王室

日本の皇室(天皇家)は、伝説上では紀元前660年、もしくは、少なくとも現在の天皇家との繋がりを史料上確認しうる継体天皇が即位した6世紀には現在の「日本の王室」が成立していると認定されています。2位のデンマーク王家が900年頃に成立した王室なので、伝説、史実のいずれを根拠にしても最長とされています。